[付録G] 歯車の歴史と和算 G.1 緒 言 歯車の歴史についてアリストテレス(Aristoteles)はその著書「機械の問題」で,くさび,曲輪,ころ,車輪,滑車などとともに回転運動を伝達する青銅製や鉄製の歯車をあげている.これが記録に残っている歯車に関する最初の記事1)と考えられる.また,アルキメデス(Archimedes)には歯車についてアリストテレスが言及していないウォームギヤについての業績もある.そして,図G.1に示すように15世紀後半にはレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)による歯車に関するスケッチで歯車の地位が確立したと言える.このように生まれた歯車が,技術的な変遷を経て現代に至っているが,本稿では歯車の歴史とともに現在の日本ではどの程度の歯車を作ることができるかについて述べる.
G.2 歯車の歴史 歯車歯形の第1世代は,原始的な歯車装置に見られる,いわゆるひっかかり歯車の時代であり第2世代は理論的には正しい歯形ではないが,経験によってかなり正確に回転運動を伝える歯形とピッチを持つ歯車が使用されていた世代であり18世紀頃まで続いた.第3世代は歯形の理論的研究が始まりサイクロイド歯形が用いられた時代である.デンマークの天文学者オラフ・レーマー(Olaf Roemer)が1674年に歯車が等速運動を行うには,エピサイクロイド歯形が適当であると提唱したのを最初に1694年にはフランスのフィリップ・ド・ライール(Philips de La Hire)がエピサイクロイドを論じた.またフランスのカミュー(M. Camus)は,時計歯車の歯形について研究し1733年にカミュの定理を発表している.これは今日,歯形のかみ合いに関する基本原理になっている.このことより19世紀中頃,イギリスのウイリス教授(Robert Willis)は複合サイクロイド歯形を発表し交換性歯車が得られることを明らかにし,交換性複合サイクロイド歯車が広く世界に普及することになる. インボリュート歯形はその普及が遅れるが1765年スイスの数学・物理学者レオンハルト・オイラー(Leonhard Euler)らによって次第にその長所が明らかにされ,特にウイリスによって圧力角14.5°の標準歯車が選定され,次第にその優位性が認められるようになるが,本格的にサイクロイド歯形にとって代わって代表的歯形として優位を占めるに至るのは20世紀に入って創成歯切り法が開発され実用に及んでからのことである.これより第4世代に入る.創成方式によるホブ盤は1835年のウイットウォース(J. Whitworth)によるホブ盤の特許が最初の記録とされているが,その後,1900年のファウター(Herman Pfauter)の差動歯車装置を持つ,はす |
ば歯車の歯切りが容易な万能ホブ盤が発表され,ここにホブ盤による円筒歯車の歯切り方式が圧倒的優位を占めるに至りインボリュート歯形が広く世界に普及することになる.
G.3 歯車と和算
一方,欧州の歯車の世界ではサイクロイド歯形が採用され,オイラーがインボリュート歯形を論じていることから歯車理論に関しては到底追いつくことができないほど遅れていたと言える.また,我が国においてホブ盤が開発されるのは1936年,濱井次郎によるH70ホブ盤3)まで待たなければならない.
次に,「スイス」,「時計」,「オイラー」というキーワードから我が国で創成歯切りに思い至ったかもしれない可能性について述べたい.オイラーと言えば1737年に発見したとされている式(1)に示す「円周率自乗の公式」があるが,これより15年も早く和算家の建部賢弘(たけべかたひろ)が発見し,1722年(享保7年)吉宗に綴術算経4)を献上している.この建部の考え方は西洋数学のロングバーグ法と同等の累遍増約術という加速法を編み出し成し得たものであり小数点以下41桁まで正しい結果を求めている事実は驚嘆に値する.
π=3.14159265358979323846264338327950288419746
時計歯車を製作するとき図G.2の「歯ざらえ機」(スイス製)という機械がある.これは,近江神宮の近江時計眼鏡宝飾専門学校で実際に使っているものを撮影したものである.図G.2のハンドルを回すことにより図G.3の歯車とカッタ(1巻きホブのような形で歯車に応じた種類がある)が連動して回転するためヤスリなどで加工した歯溝にカッタの刃が入り込み歯の分割を正しくする装置,すなわちピッチ誤差除去装置と言えるものである.この加工を施すことにより時計歯車のピッチ精度は格段に向上する.この装置は,まさしくホブの創成加工原理そのものであり,スイス人のオイラーが,図G.2の機械を使っている時計職人を見たとき創成歯切り法を思いついたのではないだろうか.歴史に,もし,は禁句だが,我が国で時計を製作するとき,職人が図G.2のような機械を使っていてそれを建部賢弘が見ていたならば,もしかして創成歯切り法を日本人が発明したのではないだろうかと思いを巡らせている. AMTEC www.amtecinc.co.jp |
193
欧州においてサイクロイドやインボリュート歯形論が盛んに研究されたが,我が国においてはどうだったのだろうか.江戸時代,和算が隆盛を極めた頃,数多くの算額が神社に奉納されている.その中にインボリュートやサイクロイドに関するものが無いかを調査した.その結果,1796年,岡山県備中國吉備郡眞金村宮内 官幣中社吉備津神社拝殿(寛政八年丙辰春三月)にサイクロイド曲線に関する算額が図G.4 のように奉納されていることが解った. この記述は,大阪中之島図書館で所有している社寺奉納算額集(巻の下)にあり,昭和17年,清水義雄が以下のように整理している.「“サイクロイド”ノ一端ト動円ガ“サイクロイド”ノ中点ニ於テ基線ニ垂直ナ直線ト基線ニ接スル時,動円ガ“サイクロイド”トノ交点ノ内,一端ヨリ近イ点マデノ距離 Sナルトキ,コノ円ニ外切シ“サイクロイド”ニ内切,基線ニ切スル円ノ直径近似値(d)ヲ求ム」.そして答日如左術とあり,式(2)でdを求めることができる このようにサイクロイドに関しては算額として残っているが,インボリュートに関しては残念ながら見つけ出すことができなかった.また,和算が天文学や暦に利用されたように機械要素や機構学にも利用されていたならば,また違った発展を遂げていたように思えてならない.いずれにしても和算の世界では歯形論が発展しなかったのは少し残念な気持ちが残る.なお,歯車に関する歴史に関しては一覧表5)に整理しているので参照されたい. |
G.4 和時計に使用されている歯車の一例 1688年に三代目津田助左衛門信貫が製作した図G.5の二挺天符櫓時計(セイコーミュージアム所蔵)に使用されている歯車の一例を表G.1および図G.6に示すが,手作りとは思えないほど上質な歯車である. 「和時計から日本の歯車の源流を探る」をご覧ください. https://www.jstage.jst.go.jp/article/transjsme/83/847/83_16-00295/_pdf 計算機や工作機械がない時代でもこのようなことができたという 技術への取り組みの本質を見直すきっかけになれば良いのではな いかと思っています.
参考文献 AMTEC www.amtecinc.co.jp |
194